終活する動機は人それぞれ違う?今も私の心に残る亡くなった方々の終活とは?

私は高齢者やご病気を持った方々を相手にお仕事をさせていただいていますので、

ほとんどの場合、人生の終焉までお付き合いさせていただきます。

そんな中で、人生の終焉までの残された時間を終活として有効に使われていた実例をたくさん見てきました。

今回は、今も私の心に残る亡くなった方々の終活の実例をお話したいと思います。

終活とは?

終活とは、人生のわりのための動を略した言葉です。

この言葉は、平成21年に週刊朝日が、

「自分の葬儀や墓の準備などを事前に行う活動」

として造った言葉でしたが、

現在では、

「自らの死を現実的に意識してから、人生の終焉までをどう生きるか?」

という意味として使われています。

今も私の心に残る亡くなった方々の終活

今まで仕事として関わらせていただいた方々の中で、

今も私の心に残る亡くなった方々の終活の実例をお話したいと思います。

ガンで余命2ヵ月と宣告された70代男性

この方は、肉牛の畜産業を営まれていた方でした。

病院を受診するまで、1年以上前から体調の異常に気付いておられたそうですが、

持ち前の根性と、育てた牛にコンテストで賞を取らせるほど仕事に情熱を傾けていらっしゃった事や、

奥様と二人で働いていらっしゃったため、奥様に心配をかけたくないという優しい性格で、

体調不良を隠しながら仕事を続けられていました。

ある日、離れて暮らしていた長男さんが帰省された時、黄疸が出ている事に気付き、

病院に受診するよう勧めたそうですが、ご本人は拒否され、

心配だった長男さんは何度も説得し、やっと地元の大学病院を受診する事に同意したそうです。

大学病院を受診した結果、息子さんがドクターに呼ばれ、肝臓がんで余命2ヶ月だと宣告されたそうです。

この時、息子さんから相談を受け、私が関わる事になったのですが、

息子さんは、ご本人に告知するか?という問題と、

「治療を始めたら動けなくなるが、余命を延ばせる治療にするか?」
「余命は延ばせないが、最後の数週間までは動ける治療をするか?」

という選択もしなければいけない事に悩まれていおり、

私が経験した事例や告知される本人の気持ちなどを息子さんとじっくり話し合い、

治療を開始するまでに時間が無い事も加味して、

「父の性格を考えると、告知して治療法を自分で選ばせる方が良い」

という結論に達しました。

告知は、私も同席してご本人に伝えられました。

多くの方はここで、病気を受け入れるまで悩み苦しみ、下手すると数週間は何もできないような状態に陥りますが、

この方は、即答で

「動ける治療でいく」

と、おっしゃいました。

なぜ、治療で延ばせる余命を切ってまで動ける治療を即答されたかというと、

子牛の出荷が迫っていたからで、自分の命より仕事への責任感を優先されたのです。

そこから、残りわずかな終活が始まりました。

牛の世話をしながら、自分が亡くなった後に奥様や息子さんが苦労しなように、

名義変更や相続など、あらゆる手続きを行い、

お墓や仏壇の準備、遺影の撮影や葬儀場との打ち合わせ、親戚やお世話になった方々への挨拶までも、ご自身で進められました。

そんなお父さんの姿をみて、長男さんも一念発起し、跡を継ぐため仕事を辞められ、

お父さんと一緒に仕事を始められました。

通常の畜産業としての仕事、息子さんへの指導、終活としての活動と忙しい日々を送りながらも、

病院受診した頃より活気のあるお顔をされていました。

そんな日々を送るうち、宣告された2か月が訪れましたが、まだまだお元気で、

治療を担当していたドクターもびっくりしていました。

それから更に1ヶ月が過ぎ、子牛の出荷も無事終わり、息子さんも一人で仕事ができるようになり、終活も完了した頃、

急に様態が悪くなり、入院して3日後に息を引き取られました。

この方の最後の言葉は、息子さんに対して

「癌を告知してくれてありがとう。これで何の未練もなく死ねる」

という言葉だったそうです。

私が考える終活として最高の事例で、私もこうやって死を迎えたいと思った終活でした。

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101歳の大往生で最後を迎えられた女性

この方は、満州で生まれ育ち、20代の頃にご主人と日本に帰って来られ、行商などのお仕事をしながら8人の子育てで大変苦労されながらも、

ご主人と共に大きな財を成し、土地や建物を何軒も持って、悠々自適の生活を送っていらっしゃる方でした。

私が関わったのは、この方が96歳で脳梗塞を発症された時でしたが、

96歳のご高齢で脳梗塞を発症したとはいえ軽い後遺症で済み、

元々お手伝いさんもいらっしゃった事で、生活には困る事はありませんでしたし、

元々、あまり外出もされない方でしたので、日常生活は発症前とあまり変わる事はありませんでした。

しかし、脳梗塞という大きな病気をされてから、死に対する意識は変わったようでした。

元々、この方はご苦労をされて成功された方で、自分にも子供さん達にも非常に厳しく、

96歳の時点でも、財産はご自身で管理されており、

「子供達には1銭も残すつもりは無い。自分の財産ぐらい自分で作れ」

と、いつも言われているような方だったそうです。

しかし、脳梗塞を発症してから、急に財産分与の終活を始められました。

それまでは、お子さんたちが財産の話をすると、

「お前達に渡す財産など1銭も無い」
「財産を当てにするなら全財産どこかに寄付する」

と、激怒されていた方が、

突然、財産分与の話をし始めて、子供さん達はびっくりされていました。

その後、子供さん達とゆっくり話し合いをしながら、誰も文句が出ないよう綺麗に財産分与され、

101歳で安らかな最期を迎えられました。

ご家族は、皆さん口をそろえて

「本当にケチで厳しい母でした」
「人生の最後で、天国にはお金を持っていけない事がわかったのでしょうね」

とおっしゃっていましたが、

生前、ご本人が私に話して下さった、

「いくらお金があったって、何も考えずに使えば無くなるでしょ?」

「子供達が親の財産を当てにして自分で稼ぐ努力をしなかったら、財産を使い果たした時に大変な苦労をしなきゃいけなくなるからね」

「そんな苦労を子供達にさせたくないから、子供の頃からお金には厳しく育ててきたの」

「きっと、子供達は私を強欲ババアって嫌っているでしょうけど、子供達が苦労するぐらいなら嫌われた方がよっぽどいいからね」

と、いう言葉をご遺族にお伝えして、

親の深い愛情に感動し、自分自身も親の愛情を再認識する事ができた・・・という終活でした。

クモ膜下出血で亡くなった37歳の男性

この方は、クモ膜下出血で37歳の若さで亡くなられた方です。

私は、この方と直接お会いした事はありませんが、この方のご友人からお話しを聞きましたので、

不思議な終活としてお話しさせていただきます。

この方は、地元の学校を卒業後、ある大きな企業に勤められ、地元には長年帰って来なかったそうです。

ある日、十数年ぶりに突然ふらりと現れて、

「何故だか急に故郷の人達が恋しくなって、お世話になった人達に会いに回っているんだ」

と、おっしゃったそうです。

その日は、先輩・後輩・友人達を集めて盛大に宴会をして、大盛り上がりで十数年ぶりにめちゃくちゃ楽しい時間を過ごしたそうです。

別れ際に、そのご友人が、

「来年も帰って来いよ!また楽しもうぜ!」

と、声を掛けると、

「うん・・・帰って来れたらいいけど・・・」

と、何故か言葉を濁されたそうです。

その1週間後、クモ膜下出血で亡くなられたとの連絡がきたそうです。

「虫の知らせで挨拶回りに帰ってきたのかな・・・」

と、ご友人はおっしゃっていましたが、

とても不思議な終活として、今も心に残るお話しでした。

終活する動機は人それぞれ違う?今も私の心に残る亡くなった方々の終活とは? まとめ

まとめ

1 終活とは?
終活とは、人生の終わりのための活動を略した言葉です。
現在は「自らの死を現実的に意識してから、人生の終焉までをどう生きるか?」という意味として使われています。

2 今も私の心に残る亡くなった方々の終活
今まで仕事として関わらせていただいた方々の中で、今も私の心に残る亡くなった方々の終活の実例をお話したいと思います。

ガンで余命2ヵ月と宣告された70代男性
私が考える終活として最高の事例で、私もこうやって死を迎えたいと思った終活でした。
※詳細は本文をご参照下さい。

101歳の大往生で最後を迎えられた女性
親の深い愛情に感動し、自分自身も親の愛情を再認識する事ができた・・・という終活でした。
※詳細は本文をご参照下さい。

クモ膜下出血で亡くなった37歳の男性
とても不思議な終活として、今も心に残るお話しでした。
※詳細は本文をご参照下さい。

  

終活という言葉は新しい言葉ですので、何だか新しい活動のように感じますが、

ご家族やご友人のため、自分が死んだ後の準備をされる方は昔からたくさんいらっしゃいます。

そこには、ご家族やご友人への愛情が溢れており、終活に関わった私も感動する事がたくさんあります。

テレビなどで、財産争いで起こるニュースを見るたび、財産を残した親の気持ちを考えてあげて欲しいと、

他人事ではないような、悲しい気持ちになります。