本ブログでも取り上げていた成田 緑夢選手が、
平昌パラリンピック、スノーボードバンクドスラロームで金メダルを獲得しました!
銅メダルに輝いたスノーボードクロスでも3位決定戦を争った、エヴァン・ストロング選手に大差をつけ、ぶっちぎりでゴールした姿は爽快なフィニッシュでした!
今回は、「金メダル獲得おめでとう!」記念として、成田緑夢選手を特集します。
目次
成田 緑夢選手プロフィール
出展:VALU
名前:成田 緑夢(なりた ぐりむ)
生年月日:平成6年2月1日(24歳)
出身地:大阪府大阪市住之江区
所属:近畿医療学園
契約事務所:株式会社サニーサイドアップ
兄はトリノオリンピックにスノーボードで出場した
成田 童夢さん
2006年トリノオリンピック 成田童夢
姉は、同じくトリノオリンピックにスノーボードで出場した
今井 メロさん
2006年トリノオリンピック 今井メロ
という、遺伝子レベルで活躍を約束された選手です。
成田緑夢選手の軌跡
成田緑夢選手は、スノーボードクラブを経営している父親の元に生まれ、
1歳から兄や姉と共に英才教育を受けました。
出展:ホウドウキョク
平成10年の長野オリンピックでは、わずか4歳でスノーボードのデモンストレーションを任されるなど、天才としての片鱗を発揮していました。
小学校の時から国際大会に出場するほどの活躍をみせていましたが、
12歳の時に家族の問題で、競技としてのスノーボードから離れる事になりました。
その後、母親のすすめでトランポリンを始め、17歳の時には全国大会で優勝し、ロンドンオリンピックの最終選考まで残るという、
雪上だけではなく運動に関して万能である事を証明しました。
成田緑夢 プロモーションビデオ
さらに、競技としてのスノーボードから離れていたにも関わらず、
バンクーバーオリンピックの金メダリストである、ショーン・ホワイト本人しかできないと言われていた「ダブルマックツイスト1260」を、
17歳の時に一発で決めるなど天才ぶりを発揮していました。
ショーン・ホワイト ダブルマックツイスト1260
18歳からは、フリースタイルスキーのハーフパイプを本格的に始め、
翌年19歳で迎えた世界ジュニア選手権では見事優勝するなど、将来を期待される活躍をみせていました。
ハーフパイプスキー
ところが、世界選手権に優勝した翌月に、自宅屋上でのトランポリン練習中にバランスを崩し、
6メートルの高さから落下して、左膝が逆方向に曲がるほどの大けがを負いました。
出展:withnews
ケガをしたのは、左足の前十字靱帯と後十字靱帯の断裂、
前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)
膝関節のすね側(脛骨)が、前にずれる事を防ぐ靭帯。
前十字靭帯(こうじゅうじじんたい)
膝関節のすね側(脛骨)が、後ろにずれる事を防ぐ靭帯。
そして、腓骨神経も損傷し、障害として「腓骨神経麻痺」が残りました。
腓骨神経麻痺
膝から下の外側部分から足の甲にかけて強いしびれを感じ、触っても感じないなど触覚が無くなり、
また、足首から先を上に向ける事ができなくなり、足が下に垂れたままの状態(下垂足:かすいそく)になる。
このケガは、成田緑夢選手にとって大きな致命傷となり、
スノーボードやトランポリンでオリンピックに出場する夢は絶たれてしまいました。
しかし、成田緑夢選手の不屈の闘争心は、オリンピックの出場の夢を諦める事はできませんでした。
腓骨神経麻痺という障害を持った成田緑夢選手は、障害者としてのスポーツを模索し、21歳から走り高跳び・走り幅跳びのトレーニングを始め、
走り高跳びでは、22歳でドバイの国際大会に参加し、リオパラリンピックの参加標準記録もクリアするほどの成長をみせました。
走り高跳びではリオパラリンピックの出場は叶いませんでしたが、
十八番であるスノーボードでは、「スノーボードクロス」という競技で、
全国障害者スノーボード選手権大会で2連覇し、
23歳で国際パラリンピックワールドカップのタホ大会で優勝しました。
パラスノーボードクロス タホ大会
今回の平昌パラリンピックと同じ会場で行われた、ワールドカップ平昌大会でも優勝。
そして、平昌パラリンピックではスノーボードクロスで銅メダルを獲得し、
今回のバンクドスラロームでは、見事金メダルを獲得しました!
ただ、成田緑夢選手の夢はこれで終わった訳ではありません。
成田緑夢選手の本当の夢は、冬季・夏季パラリンピック出場です。
2020年の東京パラリンピックには、走り高跳びで出場したいと闘志に燃えています。
天才的な身体能力と、不屈の心を兼ね備えた成田緑夢選手のこれからが楽しみです。
皆さんも、ぜひ応援をよろしくお願いいたします!